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立峠(たちとうげ)〜西条(にしじょう)
ようやく立峠に到着しました。レポータの高度計は1,005mを示していますが地図で確認すると995〜998mではないかと思われます。松本宿の女鳥羽大橋から6時間かかっていました。
正面が聖山、その麓の麻績宿までは直線距離で約10km、その先の目指す善光寺は直線距離で約35kmでしょうか、まだ遙か彼方です。
立峠からの下りは1間半程度の幅で途中から石畳になります。幕府の巡検使の対応のため道普請の軽減のため石畳にしたと記述があります。善光寺道のこのあたりは大名の参勤ルートにあたらないため、専門的に普請を行う者は居なかったのでしょうね。将軍の代替わりにやってくる巡検使に泣かされたのでしょう。晩秋で落ち葉に埋まっている石畳は、レポータのビブラムソール(登山靴のソールの定番)は滑って歩き辛いものでした。
石畳は「芭蕉の小径」と名づけられていますが、旧道は失われています。そのとき集められたのか道祖神が四体見下ろしています。立峠から約1.5km、標高差にして200m下ると乱橋(みだれはし)間の宿です。
明治初期には104戸だった言われ、「どこへ出るにも牛峠・古峠・立峠・花河原峠・風越峠・中峠を越さねばならず」と参考文献にあるとおり、四方を山に囲まれています。最古の古峠は古代の官道に用いられた峠とされ、今も道筋が明瞭と興味をそそられますが、別の機会で紹介できたらと思います。
乱橋本町交差点(信号はない)が最低地点で標高差約35mを登ると中峠(なかのとうげ)です。峠には物臭太郎塚があり、ここがあの物臭太郎・・・、昔話の中の人物ではなく本当に居たのか?案内板が見当りません。
さらに500m程度進むと「中の峠一里塚跡」の標柱があります。一つ前の岩井堂一里塚から距離があるように感じるのは立峠、中峠があったせいかもしれません。
路傍に祠、常夜燈、道祖神(馬頭観音)が現れ本街道を歩いていると安心感を与えてくれます。
まもなく西条というところで善光寺道が分からなくなりました。地図によると下の写真で道を下りきって、左へから篠ノ井線を渡るのであるが、ガードレールがあり踏切もないので、西条駅まで迂回しなければなりませんでした。
西条駅前から国道403号に出て300m程度進むと本城小学校のところで二股になっていて、善光寺道は国道を離れ右道をとります。
間の宿であったが旅籠も「ほんじ」のほかに数軒あったとあります。
西条宿は東条川を渡るところで終わり、善光寺道は東条川の右岸に沿っています。聖高原も近くに見えます。
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